【育児】風呂無しの家に無理やり子供を放り込むのを美徳とは感じないなぁという話
正月休み、僕はボートレース三昧で、おまけに勝ちまくっていました。
その勝ち分はどういうわけかボートレースに無事返還することになったので正しくは、勝ちまくっていたけど、そのあと負けまくったということになります。
そんな正月を過ごしていたのですが、予想の合間にこんな記事を目にしました。
いろいろとまぁ思うところはある記事でして。
基本的な意見は納得できる部分が多かった記事ですが、現代の子育て世代である僕なりの意見が今回の記事です。
大前提として、この筆者はいわゆる「いい家庭」に育ったんだと僕は捉えています。
経歴を見てもそう思いますし、子供を一人暮らしさせろという金のかかるススメをするのもそのあらわれかなぁなんて思って読んでました。
昭和ロマン派のありがたいお言葉
記事の内容は「四の五の言わずに親元を離れて暮らしてみれば、自立を促すインセンティブが働くから、環境が悪くても家から出してみ」というものです。
僕は「帰ってくる場所」があれば思いっきり挑戦できるという筆者の言葉は、その通りだと思いますが、その後の筆者の言いたいことと僕の考えはちょっと違うんです。
僕は、一人暮らしした後だって、実家という「帰ってくる場所」があるからいろんなことに挑戦できると思ってて、親としても子供には『いつ帰ってきてもいいから思いっきりやってきなさい』と言うと思います。
なので、この文はおかしくね?と感じます。
安心して帰れる場所を用意した後は、そこから追い出さなければなりません。
筆者だけではないんですが、こういう表現を子供に使いたがる人結構いますよね?
「追い出す」必要ってあります?
僕は高校を卒業してからずっと一人暮らしで、別に寂しいとか大変とかは思ったことはないですが、そんな僕でも一人暮らしを始めるのって結構勇気がいる行動でした。
ホームシックになる人だっているわけですよ。
再度ですが「追い出す」必要あります?
親から「追い出された」子供は、それはそれは寂しい一人暮らしデビューになるどころか、傷を負っても帰ってこなくなっちゃいますよ?
帰る先を失うんですから、失敗したらどうなっちゃいます?
「お前が退路を断ったせいだ!」なんて逆恨みされかねませんよ。
行く末はこうですか?
親世代を含み、日本全体が「~でなければいけない」という「総強迫性社会」になっているという著者の指摘には、ひきこもり問題の根深さを痛感させられるのだ。
子供も一つの人格を持つ人間なんですから、きちんと本人の意向を汲んだうえで決めないと絶対にダメです。
あとから、「そんな意味で言ったんじゃない」と言っても遅いですよ。
そのうえで僕は、一人暮らしをすることになった子供を「応援して送り出す」ことはあっても「追い出す」ことはないなぁと思いました。
筆者なりの比喩なのは重々承知です。
文末に
お子さんには、「18歳になったら家を出なきゃいけない」という話を、早めにしておきましょう。17歳になって「来年は家を出てね」といきなり言われるより、子どもにとってもずっといいはずです。
とあるので、文面通り追い出すことは想定していなんでしょう。
ただ、根底にあるのは「劣悪な環境が人を成長させる」という迷信なんじゃないの?と感じたんです。
ナンセンスだと感じたのは、戸塚ヨットスクールや体罰の肯定と同じものを感じたからなんでしょうかね?
僕は「親は基本的に過干渉せず、18歳ともなれば子供を見守るだけで充分その役目は果たせるし、子供もそれを感じていれば安心して社会に挑戦することができるんじゃないの?」と考えています。
実際にその考えが違ったとしたら、実情に合わせて対応しますが早くても10年以上先の話です。
たとえ10年先でもその時に時代に合わなければ、合うようにしようと思っていますが、筆者からは30年以上前に終わった昭和時代の子育てがいまだに通用すると考えてる節を感じてしまいました。
裏を返せば『今も昔も子供の扱いなんかコレでいい』という傲慢さというか、そういう後味の悪い表現が目立ちました。
そもそも自己肯定感を向上させるために、わざわざ「追い出す」必要が出てきてる時点で教育は失敗してると言わざるを得ない気がしますが。
ちなみに筆者も悪い例として過干渉を上げてます。
中学受験で第一志望校に不合格になると、子ども以上にがっかりしたり、泣いたりする親御さんがいますが、それは役回りを間違えているとしか言えません。なぜなら、一番つらいのは実際にチャレンジした本人です。親はプレーヤーではなくマネージャーなのですから、必ず一歩引いてお子さんを支えてください。
こう言っておきながら、この3年後には「子供のため」と大義名分を打って「追い出しなさい」とはこれいかに。
僕はここに昭和ロマンを感じましたね。
環境が人を変えるのは事実
僕は基本的に劣悪な環境で人は成長しない派です。
劣悪な人になるだけです。
そんな環境でも成果を上げる人は黙っててもやりますし、いい環境にいればもっと成長をしたことでしょう。
と、考えていますが、筆者の主張はこうです。
日本と中国の若者を比較するとあきらかです。生活に対する満足度を比べると、高い生活水準で暮らしている日本の若者よりも、中国の若者のほうが高い。なぜなら、中国の若者は毎年生活水準が上がっていくことを実感しているからです。
ところが日本の若者の場合、「落ちるかもしれない」という不安があるために満足感が低い。生活水準とその満足度は、必ずしも一致するわけではありません。むしろ大切なのは、「自分の力で生活水準が上がっている」という実感です。階段を上っていることを感じられれば、何かをやろうという気持ちも生まれます。
環境の変化(上昇)を実感すれば生活に向上心が生まれると言いたいんでしょうが、
ほんまにぃ?
これによると日本の18~20代の84%は満足しているようですよ?
満足度は十分高いですよコレ。
この記事は古すぎるので参考までですけど、同じ年ごろの子たちを比較した資料を見つけられなかったのが残念です。
2015年に「中国における幸福感の研究状況」という研究がされていてそれによると、生活の満足度は2014年で87%ほどです。
まぁ、高いといえば高いですが...
より満足を得るためにわざわざ劣悪な環境を強いるほどの差ではないような...
そもそも日本と中国では社会制度や国民性が違います。
安定志向とチャレンジ精神が豊富な国を比べても仕方ないですから、比較するなら国内の地方とかにすればいいのになぁ
じゃ、「実際のところ環境が与える変化ってどうなのさ」ってことなんですが、僕は筆者のおススメ通り高校を出て一人暮らしをはじめたクチです。
で、結果からいうと、誰にも見られることがなかったのでぶっ壊れるまで酒を飲んでました。
確かに筆者のいうとおり、僕は一人暮らしをして家事を覚えていくわけなんですが、ひとり暮らしの洗濯物なんてそんなに多くないし、シャツなんてカーテンレールに干したものをそのまま着てましたし、自炊はパスタばっかり食べてました。
洗濯物の件は、小生君に「せめてちゃんと干せ」と何度も言われてます。
その彼は僕より全然一人暮らしはしてませんから、一概に一人暮らしで身につくということではなく、親の教育の問題だと思います。これも環境ですよね。
だから筆者の主張通り環境が生活態度に影響するってのはその通りです。
1人暮らしでパンツを脱ぎ捨てて出かけたら、帰るとそのままの形で部屋にぽつんと残っている。イヤですよね。
ただですよ?こういうのが端々にありまして...うーん。
コレはさすがに筆者がそうなだけであって、僕は全然気にしなかったしその上、酒は浴びるほど飲んでましたし、稼いだ金はスロットに使っていつも素寒貧でした。
そこまで自制しないのはあまりない事だとしても、二十歳ソコソコの若者の頭なんてみんな同じじゃないです?
親元離れてやったー!自由だ!ですよね?
世の中には誘惑がたくさんあります。
二十歳ごろは手に入った自由の意味を履き違えたまま数年過ごすことになるわけですが、それが自己肯定感の上昇には繋がるかぁ?というのが記事全体を通した僕の意見です。
僕は、一人暮らしをしたことによってタガが外れてアルコール依存症になったからという背景があるのでそう感じますが、子供の意見を聞かずに「追い出す」ような家庭で育った子は、僕のようにタガが外れますよ?
人間どこからでもやり直せますから、アル中になっても30超えて大学に入学しなおしてもいいワケですが、それは環境が整ってさえいれば避けられることだと感じますし、日本においては避けるべきことだったと思います。
ナチュラルな差別はやめよう
「自分の力で美味しいものを食べる」というのは、男子には特に響きます。自分の成長が感じられるのは、こんなときなのです。
「彼女のシチューより、やっぱりお袋のシチューだよ」となる。当たり前です。子どもの頃から食べているのですから。そうすると、母親は息子が50歳になっても、パンツを洗ってシチューをつくることになるのです。
この2文を掲載する前に誰かが、この表現はマズいよってのを言わなかったの?と思います。
なぜ男子には特に響くのでしょう?しかも太字です。
僕なんかは人が稼いだ金、要はおごりで食事をするときが至福です。
なぜ食事の支度をするのが女性なんでしょう?
うちでは晩ごはんの準備は僕の仕事です。
ここは読者が引っかかるようにワザこういう表現にしたのかな?と思ってます。
*女子でも自分の力で美味しいものを食べるのは響いてます。自力が収入だけを指すのは世界が狭いかと
それまでは、昭和チックな考えもまぁ場合によっては必要だよなぁなんて思って見てましたが、リアルいきなり差別かよでした。
いろんな情報があってその中から選択を繰り返して子育てをしてるわけですが、僕は子供に英語教育をしています。
低学歴ほど子供に英語教育したがるって話もありますが、まぁ僕に関していえば当てはまってますよね。
で、英語の先生っていろんな国籍の方がいるんです。
アメリカ出身、フィリピン出身、当然日本出身と。
別に英語を話せる話せないはどうだっていいんです。
いろんな文化をバックボーンに持つ人たちとのコミュニケーションに子供の頃から慣れといて欲しいんです。
それは、肌の色とか国籍とか年齢とか貧富とかそういう「属性」で人を判断してほしくないからです。
特に、男だ女だはダメですよね。
僕ですらそういう認識を持って子供に接したり教育をしています。
日本は国際的にも指摘されてて、医学部入試の不正があったばっかりなのに開成の校長が令和2年にこんなこと言ってるんです。
さすがにヤバない??
男子校の校長だから麻痺しちゃってんのかな?
ちょっと心配にすらなります。
別に恋人がイチャつく過程で女性が可愛らしさアピールの一環としてシチューを作ってるってのは構いませんよ。
勝手にやってくれって話ですから。
でも筆者は「結婚を前提としたトピックで、家庭には女性が入るものだ」という視点で書いているわけです。
終いには、こう締められています。
童謡の「赤とんぼ」に歌われているように、15でねえやは嫁に行きましたし、最初の東京オリンピックの頃、集団就職列車に乗っていたのは中学を卒業した15歳の少年少女でした。数十年前までは、中学を卒業すると独り立ちをしていたのです。それが今は18歳。決して早いということはありません。
これ半世紀以上前の話じゃないですか。
軽く歴史の教科書に登場するレベルの時代をさも最近かのように言っちゃイカンですよ。
晩婚化の要因の一つに女性の大学進学率の向上、社会進出の向上が挙げられています。
文明が高度になるにつれこういう傾向が強くなるんです。
では現代では18歳決して早くないというレベルですか?ちょっと早いまであるレベルじゃないです?
比較してるのが中卒の社会進出と大卒女性の話なのでそりゃズレると思いますが恣意的だなぁって思いました。
筆者の言いたいことのニュアンスは分かります。
自立を促すことが親の仕事だし、子供は自立して自分で衣食住不便することないような生活を送るべきです。
仕事にもプライドとやりがいを見つけ、そのうえで、伴侶を見つけてまた新たな家族を作っていく。
その第一歩として「実家から出しなさいよ」と『親』に対して投げかけてるんです。
そりゃ分かりますが、時代にあった表現を身につけなければせっかく持っている素晴らしい教養が台無しです。
僕は、結婚の夫婦の支えあいというのは貧乏でも2馬力で働いてお互いを支えるとか、辛い時期を協力して乗り越えるのものだと思っています。
赤とんぼで15で嫁に行った「ねぇや」もそうだったのでは?
なので、「男は働き、女は家庭」という四半世紀前に消滅した価値観は最初から持ち合わせていませんから、この記事を妻や子供におススメすることはできないなぁと思い、ボートレース江戸川で永井選手のイン戦にありったけの金をブチ込んだのでした。
↓飼い猫も『またまたご冗談を』と言ってました。バナークリック御願いします🙇♂️