人は怒りに支配されているのやも
大学を出てから1年経ちましたが本を読む習慣が付きました。
読む時間は寝る前の30分くらいなんですが、1冊読み切るのに大体二週間くらいです。
ちょうどいいですよね。
子供を寝かしつけてる間PCをいじっているとカタカタ音もしますし子供も気になっちゃいます。
その点本だと読んでる僕が寝る勢いですから子供もあっという間にグッスリです。
そんな僕が何を読んでるのかといいますと哲学書です。
哲学書はいいですよ。
5ページも読めばお腹いっぱいで即寝ることができます。
僕が読んでる本なんて哲学書入門的な読みやすく理解しやすい本ですが、それでも一日10ページ読み進めるのは至難の技です。
かといって、つまらないというわけではないです。
読んだ内容のことを眠りにつくまで思い返して自分を振り返ると色々と発見することができますし、人のこれまでの営みもなんとなく想像できて時空を越えた触れ合いもできます。
そんな眠剤がわりに使っている哲学書ですが、とてもいい話が載っていたんです。
幸福論-アラン
時の流れと空の色に何も望みはしない幸福論はリリースされてから20年経ちましたか...
僕が高校受験の時に聞いてた歌です。
これのカップリングに『すべりだい』という曲があって、僕はこの曲が一番好きです。
今でも聞きますし、歳を重ねたからこそ歌詞の意味がわかってくすぐったいような甘酸っぱいような思いを汲み取ることができます。
この曲を10代で作れるのってすごい才能ですよね。
さて、これは椎名林檎の幸福論の話ですがアランの幸福論といえば哲学書ってよりもエッセイに近くてとても読みやすいです。
100話近い短編から構成されていて、1つの話はだいたい2〜3ページで終わります。
こんな素敵な本ですら僕は10ページも読み進めることができませんので、どれだけ読書力がないのかって話ですが...
この本は日本でもずいぶん親しまれているようで、僕のような「哲学の雰囲気だけでも味わいたい人」はちょうどいいかもしれません。
行動の人
幸福論のトピックの中で『行動の人』『ディオゲネス』『エゴイスト』というのがあります。
この中でアランはこのように述べています。
知覚と行動というこの二つの水門が開かれる時、生命の大河が人間の心情を、軽やかな羽のように運び去っていくのである。 (中略)しかし、どんな人間においても、行動する時には意識を消し去る。情容赦のないこのヴァイオレンスは木こりの斧の一撃に通じるものがある。
『幸福論』行動の人より
それと
あきらめて服従しながら稼ぐ人たちには、バカラで勝負をする楽しみなど想像もつかない。しかし、やってみたら、しばらくの間でも力の陶酔とは何かを知るだろう。仕事というのは自分が支配者である限りは面白いが、支配されるようになると、おもしろくない。(中略)人間はもらいものの楽しみにはうんざりするが、自分で勝ち取った楽しみはすごく好きなのだ。人間は、しかし、何にもまして行動するのが好きなのだ。
『幸福論』ディオゲネスより
そして
本当のところは、若者たちの競技がよく示している通り、人間が普通好むのは楽しみではなく、むしろ行動であることを知らねばならない。(中略)人間は快楽よりも行動を愛する。その行動とは、他のどんな行動にもまして規律のある規則正しい行動、そして何にもまして正義のための行動のことである。
『幸福論』エゴイストより
アランは『人が喜びを得る源泉は行動すること』ということを説いています。
ただ行動するだけではなく、自分の意思を持って行動を起こすこと。
その場合は「困難が伴うほど」喜びが増すということを説いています。
これが知覚と行動に当たることだと僕は解釈しました。
やりたいことは困難を伴っても夢中になるってことですよね。
身に覚えのあることばかりですよね。
僕は割と行動が先行するタイプですから当然後悔も山のようにあります。
そんな風に生きてきた結果、僕としては「過去のことは振り返らない!」みたいな結論に至ってます。
アランは「それじゃ駄目だよ」と言ってる訳です。
そうなることを認識して正しい行動をとればより良い結果を導けますよって言ってます。
そしてアランは、行動ができずにいる場合、怒りが湧いてくるということも書いてます。
先日の記事で池袋の事故を扱いましたが、その加害者叩きが分かりやすい例かもしれませんね。
感情は揺さぶられても何も出来ない事から怒りが出てきてあぁなる。
こういう話題だとネットやSNSがやり玉に上げられますけど、もっと昔から当たり前に行われてた事です。
大学の一般教養で法学をとったりすると「隣人訴訟」が議題に上がるじゃないですか。
あれだって行動できずにいた怒りの結果ですよね。
アランは100年前の人ですが、当時からそうだったということが容易に想像できます。
ネットが発達したから、SNSが登場したからじゃないってことですね。
今はコロナで多くの人が行動を制限されていますが、アランのいう通りだとすると怒りが湧いてきやすい環境がそこかしこ世界中にできているのかもしれません。
みんな好きで制限されてるわけじゃないのにパチンコに行かれたり、3.11の教訓が活かされずに買い占めとか見るとなんとなく怒りは理解できてしまいますけどね。
僕の最近の怒りだってそうです。
妻からジムを禁止されて筋トレができずにさらに在宅勤務になって毎日悶々としてます。
ですが、ジョギングなら距離を空ければOKみたいなニュースをみた時、なんじゃそりゃ!と思いましたよ。
じゃあ筋トレもエエやんけ!距離は取れてるやんけ。
そもそも最初のクラスターがジムだったってだけで槍玉に上げてるだけやんけ!
保育園も幼稚園もクラスターしてるのに止まってへんやんけ!!
換気さえなんとかすればええんか?外出んなや!と思いました。
こんな具合に怒りが満ちた環境になりつつありますが、アラン曰く行動を制限されてるところからくる退屈が原因なんです。
ただ、コロナの足かせがなかったとしても退屈して怒りに満ちてる人っているじゃないですか。
僕も普段会社勤めしてる時はどちらかというと怒りに満ちていると思います。
会社勤めって退屈ですからね。
今は在宅勤務になって成果物を出すために自分で仕事を組んでるので割と仕事になってます。
これもアランが言ってますが、支配されるようになると退屈するんです。
支配を解かれて自分で考えて行動した方が成果も上がるんだから、会社にいく必要ってなんだろうと思ってる人結構いるんじゃないですかね?
特にデスクワークならWEBで完結できる世の中ですから、これを利用しない手はないと思いますがどうでしょうか?
問題があるとすれば行動中に夢中になって周りが見えなくなることですか。
自宅だから余計時間を気にすることがなくなって、仕事が終えられないみたいなことを防止する何かがあればいいと思うんですけどね。
そんなことを幸福論を読んで感じたんです。
寝る前に読むとぐっすりできるのがお分かり頂けると思います。
退屈からくる怒りは今に始まったもんじゃない事はなんとなく理解できます。
じゃ、娯楽が少なかった自体の人たちはこの怒りをどうやって解消してたんでしょう?
やっぱり戦争なのかなぁ
人の歴史が戦争と結びつくのはそういう事なのかと浅い思慮を巡らせて明日はどんな行動をしようかと考えながら眠りにつくのでした。