【アル中】新しい酒の拒絶方法 ソーバーキュリアス
ソーバーキュリアスという生き方があります。
僕はアルコール依存症なので酒から距離を置くというのは単なる習慣ではなく「生き方」になります。
酒のない人生を文字通り全く考えられない生活を送っていたかつての僕は、酒を切り離す行為というと「断酒」しか思い浮かびませんでした。
ところが断酒を進めていくなかで、酒へのいろいろな向き合い方を発見していきます。
その一つがソーバーキュリアスです。
あえて酒を飲まないというソーバーキュリアス。
「あえて」ということは「飲まない選択をし続ける」ということですから、アル中の考える断酒との親和性が高い行動だと思いました。
20代ではソーバーキュリアスは広がりを見せているみたいですが、その背景としては、健康面に与える影響だけでなく「酔っぱらう事はカッコ悪い」という認識があるようです。
酔っぱらうことがイケてるわけないでしょ
僕は断酒をしてからも飲み会とかに参加しているわけですが、日を追うごとに酔っ払いに対するネガティブな感情が大きくなりました。
それは僕が酒から切り離されていき、正常な判断が戻ってきていたということに他ならないと思っています。
かつては自分もこうだったという思いと、なにやらわけのわからないことを延々と繰り返される苦痛と、時間を無駄にしている感覚とで一種の修行かと思うこともしばしばです。
子供の頃や若手時代にこういう酔っ払いに付き合うのは苦痛だったはずなんですが、気が付いたら自分も同じことをやっていたわけです。
100歩譲ってもイケてない行為じゃないですか。
飲み会の初回オーダーでノンアルコール飲料を頼むと「最近の若者は」と語りたがる人がいますが、若者の方がより冷めた冷静な目で世の中を見つめてるってことがよくわかります。
我々オジサンは酒の快楽に負けて「酒は良いものだ」という固執した考えを捨てられないどころか悪魔の肩を持ってまっとうな道を進む人に文句を言ってるわけです。
コレを表現するいい言葉があります。
地獄です。
飲み会や酔っ払いは地獄なんですよね。
イケてる地獄なんてあるわけなくて、酒をから距離を取ってるわけです。
ですけど「断酒」って言うとアル中感が満載な感じじゃないですか。
なので僕もこれからはソーバーキュリアスを名乗ることにします。
「飲まない」という選択
僕は断酒において大切なことは「飲酒欲求のいなし方」だと考えています。
具体的に言えば「日々飲まない選択をすることにどう導いていくか」です。
僕は何かにつけて酒を飲んでました。
それこそアル中あるあるですがお祝いだから酒を飲み、外食だから酒を飲み、天気がいいから酒を飲み、雨が降ったから酒を飲んでいたわけです。
それって結局「自分はアルコール依存ではない」という口実を与えてただけなんですが、同じ理由で「だから飲まない」にしていけば日々の断酒は継続していきます。
お祝いだから酒は飲まない(飲んでせっかくのお祝いを台無しにしたくない)、外食だから酒は飲まない(家族で楽しい食事を台無しにしたくない)、天気がいいから酒は飲まない、雨が降ったから酒は飲まない。
何だっていいんですが、飲む口実が付くんだから同じように飲まない口実をつければいいんですよね。
ソーバーキュリアスって最高の口実だと感じます。