【子育て】小学校の宿題で親の役割が出題されました。「おしえるの おとうさん」僕の役割はこれだけだった...
親の務めってのはどこからどこまでなんでしょうか?
僕は実は「子供をもうけよう」と思った時に出生時期を考慮していました。
僕には3月末生まれの弟がいて、彼の苦労を肌で感じていたってこともあるんですが、早生まれに関する研究って色々あってそれが指すものは良くない結果を示すものが多いです。
もちろん全員がそれに当てはまるってことではありません。元野球選手の桑田真澄氏とか例外かもしれませんがいますし。
ただ、3月生まれと4月生まれってほぼ1歳違うワケで、それこそ子供の頃の1歳って差が大きいワケですよね。
その差が成人まで縮まらずに成長過程で悪影響を及ぼすっていう傾向が示唆されている事実があります。
そうすると、ある程度子供が生まれる時期をコントロールした方がいいのか?生まれ月が原因で人生を恨むなんてことにならないかと考えるようになりました。
子供は自然にできるのがいいのか、時期を考慮したほうがいいのかどうすればいいんでしょうか?曲がりなりにも生命をコントロールしていいものか...
そう悩んでいた時期もありますが、今は「日本で生きていくなら時期は考えたほうが良い」と結論してます。
どこの国でもそういう問題はあるみたいです。
衝撃的な話題ですが、早生まれの人は非行に走りやすいというデータがあります。
その原因は、幼少期に体の小ささや勉強理解についてからかわれたりいじめられたりというところに起因するようです。
3月生まれの子と4月に生まれた子とでは1年差があります。
子供の頃のこの差ってめちゃめちゃデカイじゃないです。
うちは子供を保育園に入れてるので特に感じますが、1歳児クラスの4月生まれと3月生まれじゃ結構な差があって、かたや走り回り、かたや寝返りもこれからみたいな差です。
その差ってのはなかなか埋まらなくて、それが埋まってくるのが高校に入ったあたり、つまり二次性徴くらいという話です。
差がなくなるじゃなくて「差が縮まる」のが二次性徴ということです。
最も多感な時期に、自分ではどうにもならないような事でストレスを感じてしまうと。
体の成長についてもそうですし勉強の理解に関しても同様ですよね。
昔は生まれ月によるは差はないという考えが一般的だったらしいですが、現在ではそれは否定されています。
学校教育に携わる者には、「早生まれ」に体格・体力の劣勢が存在することを認識し、運動能力や学習能力に対して負の影響が出ないよう、日頃からの気配りが求められる。特に低学年児童においては、年齢ではなく月齢で考えるという気配りが必要と思われる。 (中略)
しかしながら「早生まれ」の影響については、単に教育者・指導者の気配り に頼るということのみで解決するものではないであろう。子供の成長度合いに ついては個人差もあるので、親が 1年遅れの入学を選択できるというアメリカ 等の制度を導入することも、「早生まれ」の影響を解消する方策の一つであろう と思われる。
このように研究者が「差があるんだから負の影響が出ないように大人が配慮しなさい」と言っています。
早生まれに関することでは根本的な教育制度に疑問を呈する結果がいつも提案されていますが、変わる様子はないですよね。
差が出るのはなんとなく分かりそうなもんですけど、昔はどういう風に子供にそれを納得させてたんでしょう?
自分で生まれるタイミングとかそこから来る他人との差とか埋めようがないじゃないですか。
上の研究レポートでも「低学年においては月齢を意識する」「一斉で入学させるのをやめる」とまとめています。
なんてったって成長期に自尊心を傷つけられるんですからね。たまりませんよね...
僕は12月生まれでずっと勉強もスポーツも中の中でした
僕は12月生まれで小学校の頃から成績は真ん中、体育も真ん中の成績でした。
どう転んでも4月生まれの子には勝てなかったんですが、それは自分が努力をしていないためだとずっと思ってました。
中学に入って二次性徴を迎えてからは学習も運動も成績が良くなって自分の隠れた才能が開花したものだと思って勘違いしてましたが、こういう生まれ月による差というのを認識してからなるほどと理解しました。
僕は高校受験を失敗して一浪して進学したんですが、上であげたレポートにアメリカの例が載ってるじゃないですか。「親は1年遅らせて入学させることができる」って。
僕はコレを地で行ったわけですが、1年間しっかり勉強をした結果高校は1年からずっとトップで授業もとても簡単に感じました。
簡単に感じすぎたためパチスロに走って学校に行かなくなったのはご愛敬。
いわゆる非行に走ってなければそのままずっとトップでいたことでしょう...
僕に関しては義務教育機関の授業のペースが若干早かったということですよね。
1年だけ中学3年間の振り返りをしただけで高校の授業には全く遅れなくなったわけです。
相乗効果ってわけではないですが、やってることが数字、文字の羅列から意味のある行為に変わったことによって勉強自体も楽しく感じました。
失ったのは「同い年の同級生」ってだけです。
日本ではそれが支配的な考えだと思いますが自分の将来のためにも一旦立ち止まって振り返る時間が10代の時に1年くらいあったっていいと感じています。
そういう意味ではアメリカの「1年遅れの入学」というのは子供の人生を保護するという意味でも意味のある事だと感じています。
自分の子供に対してそれをどう応用するのか
子供は子供の社会がありますから、早生まれはコレコレこういうことでからかわれても気にすんなよ!ってのはなかなか難しいと思ってます。
冒頭の3月生まれの弟ですが、彼はまさに低学年の頃は勉強でつまづき中学でグレにグレました。身近でこういう例があったので特に難しい問題だと思います。
そして身近での例が最近また起こったのでこのエントリーができたという具合です。
というのも、長女は「進研ゼミ小学講座」をやってます。
今月号に「冬の実力診断テスト」ってのがあって成績と順位がでるんです。
小1の長女はテストってだけで今のところ張り切ってくれるんで、時間を計ってちゃんとしたルールでこのテストに臨んでもらいました。
僕としては進研ゼミでも学校でもやってることなのでまぁ満点だろうとタカをくくってました。
結果は中の中
ここにきて小学校に上がった長女はまさに僕と同じパターン。
年末生まれが影響してかあらゆる成績が真ん中。
親としてはもうちょい頑張ればもっと理解が深まるんじゃないの?とか思ったりするんですが、自分はどうだったかというと15歳まで成績は中の中。
自分は頑張ってなかったの?いやいや、自分の中では振り切って頑張ってたよ。
ってことは長女だって頑張ってるわけですよね。
まぁ親がそうなら子もそんなもんだよねって感じてますが、危うく自分を棚に上げて「もっとできるだろオジサン」になるところでした。
教育は投資という面もあります。投資ならそんなに慌てんな。
子供が数字、文字の羅列から意味を見出すときまでじっくり待とうと思います。