老人笑うな行く道だ。若者笑うな来た道だ。
あの、思い出す事すら恐怖を覚える池袋の暴走事故ありましたよね。
その被害者遺族の方がユーチューブチャンネルを開設して悲痛な思いを言葉にしています。
同世代ですし同じく家庭を持つ者として辛くて辛くて見てられないんですが逆に車を運転する者でもある僕はその辛さから逃げてはいけないと思い、見ました。
僕は今年小学校に上がった子供がいるんですが、口を酸っぱくして運転手は歩行者なんか見てないから十分に車や車道から距離を取って歩くように言ってます。
それでも怖いので登校はついて行ってますけどね。
僕は自分も運転するのでドライバーの無責任さはよく分かっているつもりです。
今は断酒してるのでありませんが「二日酔い気味だけど」つって出勤時に運転とか、急いでるからつって黄色信号でアクセル踏み込んだりとか、煽り運転は危険だといいつつも危険な割込みされたりしたら急接近とかパッシングとかクラクションはしませんが、イラッとしたりするわけです。
本当は事故にならなくて良かったねって相手ドライバーと抱き合うべきなんですけど。
こう身に覚えのあることを書き並べただけでも無責任さが際立ちます。
罪を憎んで人を憎まずの難しさ
もう一つ似たような無責任な行動をしていることがあるなぁって思ってまして。
それがネットです。
池袋の件はどこか遠くの別世界で起こった事じゃなくてすぐそこで起こってる現実です。
だからこそ、悲痛な思いをいろいろな媒体が記事にしています。
あまりにも痛ましく悲惨な事件なので感情が揺さぶられることも多いんですが、5ちゃんねるやTwitterでは加害者の男性の罪について過激な意見が多いです。
厳罰を←わかる
極刑を←飛躍し始めてるけどわからなくは無い
死刑を←死刑って言いたいだけ
極刑と死刑は中身は同じものですが、道路交通法の上限っていう意味で極刑って言ってるのかもだしね。それでもだいぶ苦しいけど。
複数名が死亡してる事故なので感情的になるのは分かりますし、仮に僕が被害者遺族なら極刑を叫ぶと思いますよ。
別にネットでそうやって書き込んでも良いんですけど、もしですよ?もし、自分の親が加害者になったらそう言えるかな?自分が年を取ったときに加害者になりはしないかな?万一なってしまったとき、自ら極刑を叫ぶ事が出来るのかな?
そう思ったんです。
一番愚かなのは「自分はそうはならない」と思う事だと考えています。
自分や周りな人が加害者にならないためにどうすれば良いのか、被害者遺族の動画や記事は問題提起していると感じます。
加害者を叩くことがすべての解決じゃないですからね。
ちなみに僕は母が還暦を超えた事もあってこの事故のことを引き合いにしてあと何年乗るつもりか聞いたことがあります。
65までだぞという僕の意見には「あと5年しか乗れないじゃないの」と不満げな母でした。
僕は会社勤めが終わったら免許は返納すると自分と家族にコミットしてます。
母は田舎暮らしなので車を取り上げたあとの足の事は何かしら考えなきゃいけませね。
それが事前に事故防止になるなら良いじゃないかと思います。