【育児】子供が勉強するには環境が大事だよっていう僕の説【山本五十六】
僕は子供が3人おりまして。
二人目が生まれたときには育休をとりました。
その時、僕は大学生だったんですよ。
大学生ですから日々の勉強に追われていました。
育休中は時間を見つけてこまめに勉強をしていたんですが、その間上の子が、僕の勉強風景を見ていてマネをするようになってました。
小さい手にクレヨンを握りながら紙にそれを走らせることが、ようやくできるようになったくらいだと思います。
僕が勉強していると子供が僕の横に座り「パパと勉強する」と言って画用紙に絵を書いていました。
そういう生活を卒業までしたので、子供の中には「勉強が辛いこと」というよりは「コミュニケーションの一つ」という意識があるのかなぁなんて思っていまして、僕が子供の前で勉強していたことが、自然に子供が勉強に向く環境作りになっていたのかなと思うんです。
勉強が普通だよって環境を自宅で構築できた
勉強をしている僕は子供の前でも割と平気で弱音を吐きます。
吐くどころか吐き捨てていました。
在学中は分からない問題や、教科書の言い回しに対して駄々っ子のように床を転げまわって理解できない腹立たしさを爆発させていました。
「もう嫌だ!もうやめる!」と何度退学届けにサインしたか分かりません。
そんな姿を見てますから、勉強は辛いものだという理解はちょっとはあるのかもしれません。
それでも僕の隣で『勉強したい』と言ってくれるので、今は『こどもちゃれんじ』を始めてなんとなく勉強らしいことをしています。
しまじろうも好きなのでちょうどいいかなぁなんて。
コレに『キッズワーク』というドリルがついてくるんですよ。
これが子供に大ヒット。
机に向かって僕のマネができるってんでジャンジャン進めていくんです。
僕が1回の講義を終えるころ子供は1冊のキッズワークを終わろうとしていました。
自分のペースでジャンジャン進んで良いんだけど、月1回しか来ないからねそれ。
というわけで、次の年からは『キッズワークプラス』というのを追加しました。
一カ月で2冊来るんですね。
それでも1週間くらいで全部終わっちゃう我が子...
今はさすがに小学生準備ワークだの英語ワークだのなんだのと量が増えてきてますが、それでも1カ月はもちません。
サクサク進めるのはとても嬉しいんだけど、次までの期間が空くので飽きないようにあの手この手で気を引いています。
僕は大学を今年卒業して2019年の1年間はのんびりしようかなぁなんて思って動画作ったりしてますが、子供はそれでも僕の横に来てワークをやってます。
今のところなんとかなってて良かったです。
大学を卒業したから思いますが、勉強って終われば楽しいですよね。
やってる間は地獄の日々でも、やったことは知識として蓄積しますし。
子供にとってもそうあって欲しいと思いますが、最終的な目的が知識の蓄積だとして、それ以外にもドリルが終わった達成感やコミュニケーションの一環として勉強したっていいじゃん!と思うようになりました。
子供を通じて色々と勉強をさせてもらってます。
大事なのは続けることよ。
で、次にやってくるのは二人目です。
上の子が楽しそうに、時には難しそうにやってるそれを羨ましそうな顔で見てます。
時には割り込んできてたりして。
ちょうど上の子が僕が勉強してる横に座ってきて一緒に勉強する!と言ってお絵かきしていたアレと同じことをはじめています。
ようやくクレヨンを走らせられるようになったその手を一生懸命に動かしていろいろと書いてます。
こんな具合に僕から上の子、上の子から下の子という感じに繋がったことが、勉強は環境なんだなと感じたきっかけです。
来年、また新たにこの子のキッズワークが始まりますが、今から鼻息荒めに待ってるので、その調子で頑張って欲しいです。
僕自身は子供の頃から全然勉強ができなかったし、する気もなかったのでその違いって何だろうと考えたんです。
子供には、同じ分野で親が頑張ってる姿を見せるべき
僕の親はまぁいわゆる昭和の親なので、一緒に勉強なんてしたことはなかったです。
父は仕事から帰ってきたら酒飲んで寝るだけの父親でしたし、母はそんな父をよく庇ってました。
「父さんは本当は大学に行きたかった」なんて言ってるのをよく聞きましたが、昔から「じゃぁ今からでも行けばいいのに」と思っていました。
通信や夜間は仕事をしながらでも大学に行けるっていう知識はあったので、なんでやらないんだ?結局口だけだろと今でも思っています。
そのくせ「勉強しろ」とは言われてたのでどんどん勉強が嫌いになりました。
余談ですが、『20代にしておきたい17のこと』という本があります。
この本の出だしに、こんな一文があります。
本での描写は、『就職を前にした学生が、好きなことを職にするか安定した職にするか迷ってる』という悩みでした。
「じゃあ、ここで聞いてみましょう。
この中で彼女の歳からやり直せるんだったら、失敗するかもしれないけど、好きなことを選ぼうと考える人は?」
すると、ほぼ全員が手を挙げたのをみて、彼女もびっくりしていました。
僕はこの描写の手を挙げた人たちは実際に時間が戻ったり、それができる状況になったとしてもやらないと思います。
理由は簡単で、今やってないからです。
『もう戻れない事が確定していて、他人のことだから無責任に勧めることができる』だけですよ。
それほど行動するという事を大事な事だと思っていて、僕は重きを置いています。
だから僕は大変なことほど自分がやって、その姿を子供に見せるか、最悪子供と一緒にやっています。
特に同じ分野ですよね。
勉強なら子供も大人もできることですから、自分がやってる姿を見せて行動で示すことが大事だと感じます。
僕の子供のころの体験が元なので、これが正しいかどうかは不明なんですが、山本五十六も似たようなこと言ってるんで、歴史的にもそうなんだと、勝手にエビデンスにしています。
僕は親と一緒に色々やりたかったんですが、言われることは『勉強しろ』ですからね。
お前がやれよってずっと思ってました。
子供の頃の僕だって「思ってただけ」で実際に声をあげたりしたワケじゃないからそうなってたんですよね。
大学に入ったという行動は、存分にジジババに対してあてつけをした気はしますが、子供が生まれたり成長するちょうどいいタイミングだったと思います。
子供は勉強に対して必ずどこかで挫折するはずですから、そういう時に学校以外にも救いの手を差し伸べることができるような環境があれば、大変ですけど乗り越えていけると思うんですよね。
大変な時ほど親子二人三脚っていうじゃないですか。
だから、これから困りそうな年代なのに「追い出す」ってのもないなぁと感じたんです。
環境ができてしまえばあとはそれを壊さないようにするだけです。
僕は今年はゆっくりしていましたが、来年また勉強を始めようと思っています。
大学院もまだ諦めたわけじゃないので子供と一緒に勉強をして、難しい問題の時には床に転がり回りたいと思います。