見たことありますか?人に何かを教える自分の姿
僕は三十路を超えてから大学に行きました。
大学の勉強中は子供の隣で「もう嫌だ!もうやりたくない!分からない!!」と駄々をこねながら大学の勉強をしていました。
人というのは喉元通れば熱さ忘れるように出来てまして、それだけ苦労して勉強していてその記憶もしっかりあるにも関わらず自分の中ではスマートに軽々と卒業したイメージを持ってます。
大学だけじゃないですよ。資格も筋トレもそうです。
電験三種とるときとかも2年くらいガッチリ勉強してたくせに今は「あんなんちょっと勉強すれば誰でも取れますよ〜」と感じていたり、筋トレもあれだけ苦労して100kgに届いたベンチプレスも「ちょっとやれば誰でも出来ますよ〜」みたいになってます。
熱さを忘れた人間は天狗になるんです。
常に世の中の広さを感じていないと崩壊します。
自分の顔を見てみよう
そういった経緯から僕が子供たちの勉強を見ることが多いんですがひどいもんですよ。
一昨年まで高卒、しかも工業高校卒のオッサンがちょっと大学出たくらいで東大果てはハーバードでも卒業したのかっていうくらいの勢いで子供にドヤりながら語ってます。
今の僕「勉強ってのはなぁ!苦手なところを繰り返し繰り返し挑戦して鍛えていくもんなんだ。苦手なところ難しいところだからやるんだよ」
2年前の僕「もう嫌だ!もうやりたくない!分からない!!学校やめる!!」
4年前の僕「もう嫌だ!もうやりたくない!分からない!!学校やめる!!」(酒グビグビー!!!
ひどいもんです...
一応僕は「わぁちゃんねる」というYoutubeチャンネルを持ってるので最近はアップしてませんが身の回りには撮影機材は転がってます。
試しに僕が子供の勉強を見てる風景を録画してみました。
もうお分かりですね。恐ろしいものが写っていました。
ダメだこのオヤジ...完全に天狗だ...
万物を司る神かという振る舞いですよ...
普通に生活してるとなかなか客観的に自分を見ることってなかなかないと思います。
動画の作成の過程で自分の声や姿を撮りますが、最初はやっぱりとても違和感がありました。
でも、その違和感の正体って「自分が思ってる自分」と「現実の自分」のギャップなワケですよね。
この差を埋めるのって大事だと思ってまして、いつまでも若いつもりの痛めなオジサンとかもこの差が大きいのかなって僕は考えてます。
自分がどんな表情や態度で子供と接しているのか確認してみるのもいいと思います。
自分の姿を映像にすることに抵抗があるのもこういうところに起因してるかもしれませんよね。
きっと想像している聖母のような表情、神父のような表情とはだいぶかけ離れた般若や閻魔のような表情をした自分と出会えると思います。
こんな顔して接してればそりゃ「パパはいっつも優しいじゃないの」って言っても子供たちの賛同は得られないワケですよ...
それを受けて「あ、子供にもっと優しくしなきゃ」と誓うのでした。
ただ、優しくするってのは悪いことをしても全て許すこととは違いますので、その辺の対応が子育ての難しさですよね。
今週のお題「怖い話」でした。