【断酒】「普通にしている」ってのは案外大変なことなんだなぁって最近実感してます。
今年も年末を迎え1年間酒を飲まずにいられた自分に満足感を覚えています。
断酒して三年半。
年数にするとたった三年半ですが日数にすると1300日ほど酒を飲んでいません。
依存症の回復に本気で取り組んでる人から見れば三年半なんて駆け出しもいいところだと思いますが、ようやく酒から切り離された「普通の生活」の素晴らしさを実感できるようになってきました。
「普通の生活」と言ってもそんな大袈裟なことじゃなく、子供の成長を喜んだり、年老いていく親を気にかけたり、高齢の祖父母の心配をしたりそういう当たり前のことです。
そんなこと酒飲んでても実感できるだろ?と思うかもしれませんが、僕に関しては全くできませんでした。
断酒までは酒を飲むことが最優先されてましたから、子供の成長を確認する前にハイボールでしたし酔っ払いながら親と接したら大概揉め事に発展してましたし、そんなことをしでかしてまずいなぁという気持ちも深く酔っ払うための材料に変換してガンガン酒を飲んでました。
振り返るとなんて時間を過ごしてきたんだ...と絶望しますが、そういえば20代の中頃で既に親孝行を考えたり家庭を持ってる周囲の人たちと話が合わなくなっていってたなぁと思います。
普通から外れていく兆候はなんとなく感じてたんですが、アルコールの魔力の前になすすべなく制圧され洗脳を受けていたってわけです。
だから、「普通に暮らしている」ってのは僕にとってなかなか実感できることではなかったんです。
それを最近になって気づいたわけですが、もう人生も折り返し地点ですよ?
色々遅いなぁ
アル中で良かったこと
思春期を迎えると大抵「自分は特別な力を授かってるから本気を出せば他の人ができないこともできるんだ」なんて妄想に駆られるじゃないですか。
それってみんなどうかわかりませんけど僕の場合二十歳位まで続いてました。
二十歳くらいになると思春期のそれよりは少しは成長してますが、周りと自分は一味違うんだっていう妄想は相変わらずしてたんです。
今思えば、そんな勘違いをしてる時点で「痛い若者にありがち」な行動だったわけですから何もオリジナリティのない、コレまでほぼ全ての人が歩いてるめっちゃ歩きやすくなってる道を邁進してたわけです。
ただ、僕が明らかに他の同世代と違うことが一つあってそれが「アルコール依存症にな
った」ってことです。
アルコール依存症になりました!なんて全く誇れることではないんですが、マイナス方面では人と違う生き方はしてきたと思います。
まぁマイナス方向に人との違いを出すなんて誰でもできますけどね。
悪い意味で普通はやらないことをするだけ。
僕の場合は尋常じゃない量の酒を飲むことだったわけです。
でも、そんな中で唯一依存する性質を持ってるってことに気付けたのはいいことだったと感じています。
振り返ればあの行動は依存の始まりだったなぁなんてことがたくさんありますから、 それが二十歳で気づいていれば、いや高校生の時に気づいていればもっと違った人生の展望もあったなぁなんて思います。
たらればも人生のスパイスということで現実的な僕のスタートは「断酒から」で、そこから普通の人になるために一生懸命生きている次第ですが、そのこと自体に気づくことができたという点ではアルコール依存症を認めて良かったと感じています。
普通であることの難しさ
断酒前までの僕の中の普通というと高卒で働き、家に帰れば酒を飲み、夜中まで騒ぎ、酔っ払って暴れ回る。
それを迷惑と感じないような生活のことを差していました。
高卒は別として、毎日酒を飲んで仕事や学校から帰ってきたらただボケーっと毎日を消費するのが大人の生活だと思ってましたし、当時は同世代が会社で働くよりもパチスロの方が稼げたので、会社勤めすることは無駄な行為だと思ってました。
何より勉強なんかしてもなんの役にも立たないと本気で思ってました。
もうこの時点で「普通に頑張ってる人」には大分差をつけられてるわけなんですが、1日のうち18時間は酒が入ってる頭ではそんなこと知るよしもなかったんです。
当時の僕の物差しは「誰かにやらされているか」「何もしないか」だったんですね。
「自分から進んで何かを追求することの楽しさ」なんてものを感じたのは20代後半になってからのことです。
そうこうしてる内に同世代の人たちは出世していくわけですよ。
パチスロも稼げなくなってきます。
僕は相変わらず酒に溺れてましたけど、なんで自分だけ貧乏を脱出できないのか毎日イライラしてました。
そりゃそうだって話です。
誰がこんな人材金払って雇うのよって話です。
勉強もせずスキルも磨かず文句だけは一丁前。
自分で思ってた普通は遥か遠くにありました。
普通にしてた人たちは多少サボることはあっても基本的に毎日自己研鑽して社会の中で自分の居場所を作ってたわけです。
毎日学校や職場に行って、与えられたことをより良く仕上げようと工夫して、休みの前くらいは酒でも飲みに行ってたまにパチンコ。
僕の生活と真逆の生活をしてるのが当たり前だと知った時に割と驚愕しました。
みんな無職でパチ屋に並んでると思いきや、ちょっとした会社の空き時間とか有給取って並んでんですもん。
僕にとって普通でいることは難しいことだったわけです。
普通の生活への回帰
僕の場合悪い意味で普通じゃないって気づいたのが27歳くらいでした。
仕事面では、時代や運にも救われなんとか外れたレールをギリギリ修正できましたがそこから断酒をした33歳までは大きな変化はなく、アル中だとはなんとなく感じていましたけど認めることなく飲みまくる生活になってました。
普通の生活に戻るためにあれやこれや考えたんですけど、それは基本的には同年代と比較をして自分がどれだけ恵まれていないのかってことを考えてました。
だから色々資格を取ったり大学に行ったりしたんですが、そもそもレールから外れるきっかになっていた酒のことはずっと棚にあげてたわけで。
そもそも酒が人生に悪影響を与えてるかもしれないって考え始めたのは断酒してからですし、理解したのは離脱症状が落ち着いて頭がクリアになってからです。
結局酔っ払っていなければ思考も正常に働きますし、寝ればちゃんと疲れは取れますし、家族とまともに会話して接することもできますし、そうすればより親密になれて良いサイクルが生まれるわけですから、そういうのを少しづつ積み重ねていってやっとうだつの上がらない理由は酒だってのが理解できてきました。
そうやって酒から人生を開放していった先が「普通の生活」でした。
灯台下暗しですが、そもそも足元にあるはずの生活は自分が踏み荒らして跡形も無くなってたというわけです。
さて、冒頭でも書きましたが断酒をして三年半が経ちました。
普通の生活を取り戻してまだ三年半しか経ってないということです。
実は仕事の関係でアルハラをうける機会が来年は相当増えそうなので、いつもの通り「酔っ払ったおじさんと自分の家族どっちが大事か」を心に刻み来年も断酒を続けていきたいと思います。